今は亡き兄のウメちゃんの父・ちびちゃん(写真)について、
今から25年前に人間の姉が書いた作文が出て来ました。
『プロ』というタイトルで作文を書くように、
という宿題だったそうです。
教室で人間の姉がこの作文を朗読したら、
聴いてくださった方々が泣いてくださったそうです。
読んで頂けたら幸いです。
吉田なな(ネコ・9歳)
『プロ』
一匹の猫と暮らしている。ちびは完璧にプロフェッショナルな生活者だ。人間の気まぐれによってペットとなり、マンションの三階にある一室から外へ出ることは無く、ペット売り場で弟猫と別れて以来、他の猫に会ったことも無い、そんな生活を強いられているのにもかかわらず、幸せな笑顔で眠るからだ。
目覚まし時計が鳴っても気が付かない私のところへやってきて、私のあごの下を柔らかな肉球でさすって起こしてくれる。こうして、一日の始まりが、穏やかな空気で満たされるのを感じる。
全員が外出してしまう朝(ほとんど毎日であるが)は無関心を装ってパソコンの棚の上で寝ているけれど、それは見せかけに過ぎない。誰かが忘れ物を取りに戻ると、もう玄関にいて、家族の不在を確認している。私たちの留守中、何をしているのかは謎だ。おそらくは風の音や雨のにおいに気を配りつつ、寝返りを打っていて、そして時折、窓の外を行き交う人や車や鳥を眺めているのだろう。(ベランダに来たすずめを狙って窓ガラスに衝突したときのちびの悲しそうな目が忘れられない。)
家の者が帰ってくると、玄関マットの上で何度も転げまわって、傷付けられやすいお腹を見せて喜びを表してくれる。私と母が紅茶を飲んでいると、夕方の空を背にしてテーブルの上に横たわり、幸せそうに目を細める。
ちびの寿命はあと十四年(そう本に書いてあった)。自分の命にも、猫の家族との関係にも限りがあることを教えられた。
そこにいてくれるだけで感じられる幸せや、与えるだけで満足を得られる愛、そういうものが存在することを実感させてくれるちびは偉大である。絶対的な信頼を受ける喜びと、それがもたらす緊張感、身の引き締まる感じを、初めて経験した。
様々な思いを私に抱かせる我が家の猫が言葉を必要としない点が私を驚かせる。
自分の生活をたのしみ、円滑なコミュニケーションによって皆の心を幸福な感情で満たすちびは、プロの生活者だ。尊敬に値する。
(1991年5月17日提出)